マイケルマーカス
今日は若き頃、何度か相場で無一文になつた51歳の現役 トレ-ダ- の話しを致しましょう。
名前は 『マイケル・マ-カス』と言い、彼は、学生時代に友人の紹介で、やはり同じ学校の先輩「ジョン」と言う男と知り合ったのです。このジョンは真面目な顔をして「時計が時を刻む様に2週間ごとに君のお金を倍にしてやる」と豪語していたのです。
当然マ-カスはこの魅力的な言葉に引かれ、父親が死んだ時に貰った生命保険3千ドルの内の1千ドルを銀行から引き出して いっちょらい のス-ツに身を固め、初めて証券会社へ飛び込んでいったのです。 これがマ-カスと株式相場との出会いだったのです。
彼はジョンの意見どおりに買った先物の売買を5回を行い アッ! と言う間に元金 全部をやられ(損)てしまったのです。
その後、彼は此れではいけない! 損を取り戻すのだ! と今度は自分で勉強し出し、本を読みあさり、直感半分、新聞の情報半分 で、昭和45年、見事に今度は20歳にして3万ドルを手中にしたのです。
彼は早速、 『つまらぬ学校に通い、つまらぬ勉強に明け暮れしていても仕方が無い』 と、ハイスク-ルを辞め花の都のニュ-ヨ-クに移り住み、相場の世界に本格的にどっぷりとのめり込んだのです。
当然、貪欲渦巻く修羅場の相場の世界は甘くなく、儲けた3万ドルの力をのぼせ過信し、今度は母親から もっと儲けるぞ~ と、2万ドルを引っ張り出し、市場の “風説の流布” や、只のインチキ噂にその儲けの全額を全部突っ込み、買えるだけ買い捲ったのです。
見事に相場の筋書きは、絵に描いた様に裏目となり、母親から借りた2万ドル迄をいっぺんに素っ飛ばしてしまったのです。
この挫折感・敗北感は 「しばらく気が動転」 していたと彼は言っておりましたが、間もなくレイノルズ証券の調査部に彼は 「手張りで覚えた損の仕方」 と 「生兵法の証券知識」 をぶら下げ、図々しくも証券アナリストとして就職し、仕事を始めたのです。
縁と言うものは不思議なもので、此処で彼の人生は一変し、 驚異的な大成功を収めるきっかけを掴んだのです。 同じ調査部にいた エド・スイコ-タ と言うトレ-ダ-に合ったのです。
マッカ-スはエドの相場哲学と、エドの次々仕掛ける銘柄・相場が全部ヒットし、稼ぎ捲るのを眼前にし、秘伝を乞うたのです。
エドいわく、まず 「利食いを伸ばす」 事と 「いかに早く損切りする事が出来るか」 と言う事だ!と 「成功の秘訣はここにあり」 と教わり、時には 「辛抱する事」 と教えてもらったのです。
昭和47年の夏、22歳の時、マ-カスはニクソン政権の物価統制が発令された時、建設資材の合板が不足しているのにも拘わらず、先物価額が現物価額を上回る 「二重価額が付いている事」 と 「売り方は統制価額だから売り安心と言って売り込んでいる事」 に目を付け、情報筋も弱き論を新聞に書き立ていた時だったので、合板価額が110ドルを付けた直後頃から買い出し、その狙いは見事に的中。 そして一気に合板の品不足現象が表面化し、短期間で200ドル迄暴騰し 評価益は拡大し 大喜びしていたのもつかの間、今度は政府の市場介入が入り 買い方の動揺は極限に達し、売り叩きが続出し ストン ストン と相場は逆に一気に大幅に下げ出し 行って来いの 大暴落を演じてしまったのです。
市場の空気は重くのしかかり肝を潰し、マ-カスは手の震えがしばし止まらず恐怖感に襲われたともらしていたそうだ。 エドの 「損切り早く」 の教訓を忘れ 「利食いを伸ばす事」 しか頭は回らず、欲望の固まりは盲となり、その咎めが 大儲けが 大損切り となり 大失敗して仕舞ったのです。 この失敗が彼の人生の最後の失敗だったのです。
以来、マ-カスは片時もエドの教訓を忘れず、エドの指示と、エドの情報に耳を傾け、エド の指示に従い、翌年の年、23歳の誕生日の時には、2万4千ドルの手持ち資金を6万4千ドル にしたのです。
マ-カスの教訓
【第一】
「ファンダメンタル分析で大きな流れを掴む上で大切な需給関係のアンバランスを読む事」
[第二]
「チャ-トでファンダメンタルに基づいた方向へ相場が向いているかを確認する事」
[第三]
「何か材料が出ると、場味を反映して相場は本来の方向 へ反映しようとするもの」だという事でした。
何度か若き頃に無一文になった マ-カス は以来、エドを追い越し現在、南カルホォニアのプライベ-トビ-チが見下ろせる丘の上に、機甲師団の攻撃にも堪える驚異の門の中、超豪邸を新築し居住し、相場で築いた数億万ドルの資産を枕に明日の相場の世界の夢を描くトレ-ダ-として現在も今尚、相場に目を光らせバ-トナ- のエドと情報を交換し、億万長者として君臨し、更にその資産を増やし続けているのです。
何事にも良き巡り合いと呼吸が合わねばタイミングもずれ、チャンスも逃してしまうものです。 悪党に縁すれば悪党となりて必ず不幸となり、身を滅ぶし、良き縁、良きパ-トナ-に巡り合ってこそ波乱の荒波を乗り越え、勝利の女神がほほ笑むのです。
寶玉堂は皆様の為、あらゆる角度から、豊富な話題を提供し考えて戴き儲けて貰う。其の為此の落書帳を今後も書き続けて行くのです。 寶玉堂には良き分析マネ-ジャ-がおります。 幅広い信頼できる多くの人脈も持っております。 正直な株価を正直に読むため、正直に生きる寶玉堂は真剣です。
既に相場の動向も方針も定め、戦略を実施に移す為、仲間とは常に密接な連携を取り合い行動を起こしております。 今後の相場の動きを楽しみに此の掲示板に書き込んで参ります。
■ 爺は皆様に考えて戴き儲けて貰う。其の為、此のメッセ-ジを送り続けているのです。
名前は 『マイケル・マ-カス』と言い、彼は、学生時代に友人の紹介で、やはり同じ学校の先輩「ジョン」と言う男と知り合ったのです。このジョンは真面目な顔をして「時計が時を刻む様に2週間ごとに君のお金を倍にしてやる」と豪語していたのです。
当然マ-カスはこの魅力的な言葉に引かれ、父親が死んだ時に貰った生命保険3千ドルの内の1千ドルを銀行から引き出して いっちょらい のス-ツに身を固め、初めて証券会社へ飛び込んでいったのです。 これがマ-カスと株式相場との出会いだったのです。
彼はジョンの意見どおりに買った先物の売買を5回を行い アッ! と言う間に元金 全部をやられ(損)てしまったのです。
その後、彼は此れではいけない! 損を取り戻すのだ! と今度は自分で勉強し出し、本を読みあさり、直感半分、新聞の情報半分 で、昭和45年、見事に今度は20歳にして3万ドルを手中にしたのです。
彼は早速、 『つまらぬ学校に通い、つまらぬ勉強に明け暮れしていても仕方が無い』 と、ハイスク-ルを辞め花の都のニュ-ヨ-クに移り住み、相場の世界に本格的にどっぷりとのめり込んだのです。
当然、貪欲渦巻く修羅場の相場の世界は甘くなく、儲けた3万ドルの力をのぼせ過信し、今度は母親から もっと儲けるぞ~ と、2万ドルを引っ張り出し、市場の “風説の流布” や、只のインチキ噂にその儲けの全額を全部突っ込み、買えるだけ買い捲ったのです。
見事に相場の筋書きは、絵に描いた様に裏目となり、母親から借りた2万ドル迄をいっぺんに素っ飛ばしてしまったのです。
この挫折感・敗北感は 「しばらく気が動転」 していたと彼は言っておりましたが、間もなくレイノルズ証券の調査部に彼は 「手張りで覚えた損の仕方」 と 「生兵法の証券知識」 をぶら下げ、図々しくも証券アナリストとして就職し、仕事を始めたのです。
縁と言うものは不思議なもので、此処で彼の人生は一変し、 驚異的な大成功を収めるきっかけを掴んだのです。 同じ調査部にいた エド・スイコ-タ と言うトレ-ダ-に合ったのです。
マッカ-スはエドの相場哲学と、エドの次々仕掛ける銘柄・相場が全部ヒットし、稼ぎ捲るのを眼前にし、秘伝を乞うたのです。
エドいわく、まず 「利食いを伸ばす」 事と 「いかに早く損切りする事が出来るか」 と言う事だ!と 「成功の秘訣はここにあり」 と教わり、時には 「辛抱する事」 と教えてもらったのです。
昭和47年の夏、22歳の時、マ-カスはニクソン政権の物価統制が発令された時、建設資材の合板が不足しているのにも拘わらず、先物価額が現物価額を上回る 「二重価額が付いている事」 と 「売り方は統制価額だから売り安心と言って売り込んでいる事」 に目を付け、情報筋も弱き論を新聞に書き立ていた時だったので、合板価額が110ドルを付けた直後頃から買い出し、その狙いは見事に的中。 そして一気に合板の品不足現象が表面化し、短期間で200ドル迄暴騰し 評価益は拡大し 大喜びしていたのもつかの間、今度は政府の市場介入が入り 買い方の動揺は極限に達し、売り叩きが続出し ストン ストン と相場は逆に一気に大幅に下げ出し 行って来いの 大暴落を演じてしまったのです。
市場の空気は重くのしかかり肝を潰し、マ-カスは手の震えがしばし止まらず恐怖感に襲われたともらしていたそうだ。 エドの 「損切り早く」 の教訓を忘れ 「利食いを伸ばす事」 しか頭は回らず、欲望の固まりは盲となり、その咎めが 大儲けが 大損切り となり 大失敗して仕舞ったのです。 この失敗が彼の人生の最後の失敗だったのです。
以来、マ-カスは片時もエドの教訓を忘れず、エドの指示と、エドの情報に耳を傾け、エド の指示に従い、翌年の年、23歳の誕生日の時には、2万4千ドルの手持ち資金を6万4千ドル にしたのです。
マ-カスの教訓
【第一】
「ファンダメンタル分析で大きな流れを掴む上で大切な需給関係のアンバランスを読む事」
[第二]
「チャ-トでファンダメンタルに基づいた方向へ相場が向いているかを確認する事」
[第三]
「何か材料が出ると、場味を反映して相場は本来の方向 へ反映しようとするもの」だという事でした。
何度か若き頃に無一文になった マ-カス は以来、エドを追い越し現在、南カルホォニアのプライベ-トビ-チが見下ろせる丘の上に、機甲師団の攻撃にも堪える驚異の門の中、超豪邸を新築し居住し、相場で築いた数億万ドルの資産を枕に明日の相場の世界の夢を描くトレ-ダ-として現在も今尚、相場に目を光らせバ-トナ- のエドと情報を交換し、億万長者として君臨し、更にその資産を増やし続けているのです。
何事にも良き巡り合いと呼吸が合わねばタイミングもずれ、チャンスも逃してしまうものです。 悪党に縁すれば悪党となりて必ず不幸となり、身を滅ぶし、良き縁、良きパ-トナ-に巡り合ってこそ波乱の荒波を乗り越え、勝利の女神がほほ笑むのです。
寶玉堂は皆様の為、あらゆる角度から、豊富な話題を提供し考えて戴き儲けて貰う。其の為此の落書帳を今後も書き続けて行くのです。 寶玉堂には良き分析マネ-ジャ-がおります。 幅広い信頼できる多くの人脈も持っております。 正直な株価を正直に読むため、正直に生きる寶玉堂は真剣です。
既に相場の動向も方針も定め、戦略を実施に移す為、仲間とは常に密接な連携を取り合い行動を起こしております。 今後の相場の動きを楽しみに此の掲示板に書き込んで参ります。
■ 爺は皆様に考えて戴き儲けて貰う。其の為、此のメッセ-ジを送り続けているのです。
0コメント